あたたかいパンとシチュー

「高所恐怖症パイロット?」

「絶対魔獣戦線バビロニア」高らかに謳う、巣立ちの歌。

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Fate/GrandOrder 第1部 7章 絶対魔獣戦線バビロニア
FGOの中でも屈指の人気を誇るこの名ストーリーを、第2部7章を迎える前にもう一度読み込んでみました。
偶然か必然か、年末には「strange Fake」の特別番組の放送も控え、空前のメソポタミアフィーバーともいえるかもしれない今。『バビロニア』のことを、ギルガメッシュとエルキドゥのことを改めて捉え直しておきたいなと思ったのです。
(※この記事の前段として、原典・「ギルガメシュ叙事詩」も読んでみました。感想文はこれです…)

 

神代の代表・母神ティアマト

まずは前提から。第1部7章の物語は、古代メソポタミアに伝わる様々な伝承を「原典」として展開されています。例えば、バビロニア創世神話『エヌマ・エリシュ』。Fateオタクにはすっかりお馴染みのワードではありますが、その名の「元ネタ」は、この神話の冒頭2単語にあたります。
内容は、「原初の母神ティアマトをマルドゥクという神が打ち倒し、彼女の身体を割いて天地を分かち、都市や人間を創造した」…というもの。この母神ティアマトこそが、7章の“ラスボス”である、あのティアマトです。

ここでFGOにおけるティアマトの設定を確認しておきましょう。
FGO世界のティアマトは「原典」と異なり、世界のすべて(こどもたち)によって、虚数世界に追放されていました。ゲーティアによって呼び覚まされた彼女は、「もう一度すべての母として君臨する(神代に回帰させる)」ことを目論み、ビーストⅡ<回帰>としてカルデア達の行手を阻むことになります(この辺りはティアマトのマテリアルで補完するのがよきですね)。
つまり7章の戦いとは【創世母神たち神々 VS 人間(こどもたち)】の戦いであると…、そんな文脈であると言えそうです。

 

こどもたちの代表・ギルガメッシュ

では、神々の代表はティアマトだとして、人間(こどもたち)代表は誰なのか。
…まあ、この人をおいて他に名をあげることは憚られちゃいますよね、ギルガメッシュ王ですね。

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しかも、「霊草探索を終えた、王としてのギルガメッシュ。ここに大きな意味があるように思います。
彼の“原典”である「ギルガメシュ叙事詩」をふまえれば、このギルは「ヒトは永遠の命を得られない」と知ったギルであり、「最愛の友を失い、一度は荒れ果てたウルクで再び王として立つこと」を決めたギルです。要は、人間の限界・人間の弱さ儚さを知ってもなお、人間とともに生きると決めたギルガメッシュ。半神半人であるギルですが、これはもう紛れなく、人間側の代表といえると思います。
もちろん、ギルだけがすごいわけではありません。序盤にたっぷり尺をとって描かれるウルクでの生活…活気に溢れ、生き生きと暮らす人間の営み…。破滅の運命にあると知ってもなお生きようとした、ウルクの民ひとりひとりの強さ。それがまさに、「人理の礎」の象徴でした。

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…ちょっと話が逸れますが、私は7章に至るまで、カルデアの守る「人理」というやつが、なんというか、よく分かっていなかったなあと思うんですよね。ただの「歴史」とか「過去」ってわけじゃないよなあとは感じていたのですが、じゃあなんなんだと問われると分からなくて。けれどウルクに来て、人の豊かな営みを見て、そうかこれが「人理」なのかと…、おぼろげに感じた記憶があります。

「神々(ティアマト) VS 人間(ギルたち)」。
ここまでの構造はシンプルで分かりやすいですね。典型的な二項対立です。
けれど、7章はそこまで単純じゃない。イシュタル、エレシュキガル、ケツァル・コアトル…人間に手を貸してくれる神々がいたり、逆に、神々との争いを避けようとするウルの人間たちがいたりするのです。立場がAだから振る舞いもAであるというような、そんな単純入出力で世の中は回っていないということなのかもしれませんよね。

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…そしてさらに。
その「複雑さ」の極地こそが、「エルキドゥ/キングゥ」という存在だったんじゃないかと思うのです。

 

エルキドゥ、神代と人世のあいだにて

ここで、FGOFate)世界のエルキドゥの設定を確認しておきます。エルキドゥは、ギルを神々の側に繋ぎ止めるべくして生み出された存在でした。しかし2人は友となり、エルキドゥは人間と共に生きることを選びます。つまりエルキドゥは、神々側から人間側に立場を変えた存在だったのですね。
けれど、エルキドゥの「ハード」を利用して造られたキングゥは、初めこそカルデアの味方を装っていましたが、実際は敵側(神側)の存在だったわけです。こう見ると、「エルキドゥ/キングゥ」という存在は、神代と人世のあいだを揺れ動く存在としてデザインされているのかもしれません。

けれど…不思議ですね。マスター(藤丸)の誠意や親愛によって女神たちが立場を変えたように、キングゥの道ゆきを変えたのもまた、人心と呼ぶべきものでした。

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瀕死となったキングゥにウルクの大杯を与えたギルの心にあったのは、かつての友・エルキドゥへの友愛の情であり、その“後継機”・キングゥへの親愛の情。そしてそれを受け取ったキングゥの体に残っていたのは、ギルへの友愛の情の残滓、そしてキングゥ自身の……羨望、だったでしょうか。


かくしてキングゥは、人の世を守るため、母神ティアマトを繋ぎ留める天の鎖となることを選ぶのです。…きっとキングゥは、ひと時の猶予しか遺せないと分かっていたはずですよね。だからその行為は、自己犠牲ではあったのです。けれど、一方的に殺され、人類の贄となった「『エヌマ・エリシュ』神話のキングゥ」とは違う。おのずから、人理を繋ぐための礎となることを選択したんだから。

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生まれや立場と関係なく結ばれた親愛が、神と人の別を超える……それは、原典・『ギルガメシュ叙事詩』の核でもあり、かつ、7章バビロニアの核でした。そしてその親愛に導かれ、彼ら彼女ら「こどもたち」は、人理のために身を賭した。その象徴が、サブタイトル「天の鎖」であり、「絶対魔獣戦線バビロニア」と言えるのだと思います。

 

幼年期の終わり

最後に。
ティアマト(ビーストⅡ)戦には、“Childhood's End”という名前…というんでしょうかね、冠がついています。幼年期の終わり…つまり、ティアマトとの戦いの果てに訪れる「神代の終わり」を、物語は「ヒトの幼年期の終わり」と呼ぶのです。
「神殺し」でなく「親離れ」。
この戦いは、神を悪と誅するのではなく、ヒトがヒトの力で生きていく「宣言」なのでした。

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であるならば。その宣言の源泉が、人の親愛であり、覚悟であり、選択であるというのは……なんとうつくしい帰結なのでしょうか。Fateシリーズの歴史を踏まえ、メソポタミアの神話を踏まえ、その上で謳われる、純粋で高らかな人間讃歌!

 

…そして、こんなにも長々と語ってきた何よりもすばらしいことは、ウルクを後にした私たちの心に残るのが、辛く苦しい戦いの記憶じゃないってことです。

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思い起こされるのは、今なお色鮮やかな旅の思い出たち。ウルクの人々と神々に触れ、時と場所を超えて芽生えた「親愛」の気持ち。それそのものなのでした。

 

久しぶりに天地驚愕コンビの話をしたい

7章バビロニアの総括に向けてストーリーを読み返しているのですが、しばしばシュメルとエジプト、つまりはギルガメッシュとオジマンディアスが比較されていたのでメモします。…ああ、なんか、やっとホームに戻ってこられる感がある…😭 魂はまだラメセウムに所属しているのですよわたしは。。。

 

まずは冒頭。早速マーリンが関連づけてくれています。

都市国家のひな形ともいえるシュメルの初代王朝が消滅すれば、その後の人類がどうなるか保証できない。
同じ時期にエジプトでも初期王朝が栄えているが、あちらだけでは人理定礎を維持できないだろう」

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正確には、第七特異点の舞台となったBC2655の時、エジプトはすでに古王国時代(BC2686〜2181)に入っています。クフ王のピラミッドをはじめとする巨大なピラミッドが造営された時代ですね。ちなみにこの頃メソポタミアはシュメル初期王朝期、特にその第Ⅱ期に相当します。ギルガメシュ王がウルクを治めた(とされる)年代は正確には明らかになっていませんが、おそらくこの頃とみて良いでしょう。

 

そして中盤。エレちゃんが目をきらきらさせながら良いセリフを喋ってくれます。

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「空からピラミッド!そいつかなりのバカ英霊ね!分かるわ、ギルガメッシュ王と同格のバカなのだわ!」
「そのニトクリスさんとやらは好感持てるわ。死霊を大切にする英霊は違いの分かる英霊だもの!」

言わずもがな、前者はオジマンディアス王、後者はニトクリスちゃんのお話ですね。ギルくんとオジマンディアスが「天地驚愕の同盟」なるコンビ名でお馴染み(?)になった発端のひとつかもしれません。
ただ注意したいのは、この2人、生きた時代がずいぶん違うということです。オジマンディアス王(ラメセス2世)の治世は、エジプト新王国時代のBC1279〜1213頃なので、つまり1000年以上は離れていそうなんですね。逆にニトクリスちゃんは古王国時代最後のファラオと言われている(ただし実在は確かでない)ので、ギルくんたちの時代にかなり近いといえます。

 

さらにその後には、ロマニとマシュが「天地驚愕コンビ」をがっつり比較して語ってくれます。

「怖ろしい王だけど、妙に口論を許すよね……オジマンディアス王との最大の違いはそこかもだ」
「はい……太陽王は神王として君臨しますが、ギルガメッシュ王は神としての振る舞いはしません。どちらもたいへん素晴らしい王様でしたが、どちらも極端なので周りの人は苦労するかと……」

Fate世界のギルくんは、「神からの卒業」の道を選んだ王でした。
そしてこの選択がひとつの契機になり、神々の消失の「二段階目」(=「決別」)に至るということなのですが…。これって、2部のオリュンポス/アヴァロンルフェにも関わる話ですよね。重要そうなのでメモしておきます。

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一方エジプトのオジマンディアス王は「神王」として君臨する道を選びます。
実際、史実においても、ファラオは太陽神の依代のように捉えられるのですが(このへんの考え方がとても難しい)、Fateのオジマンディアスはもっと極端のようでして、自らが神であると言い切っちゃうんですね。
この、天地驚愕コンビのスタンスが真逆であることは興味深いのですが…。しかし、よく会話できてるよなあ、あの2人。。。

 

ちなみに神性クラスを見てみると。
ギルガメッシュ:B(A+)最大の神霊適性を持つが、本人が神を嫌っているのでランクダウン
オジマンディアス:B 太陽神であるラーの子であり、化身とされる
ニトクリス:B 天空神ホルスの子であり、化身とされる

…でした。やはりギルくんの神性クラスは破格のようですね。自分は神様を嫌ってるのに、難儀なもんです。

 

ギルガメシュ叙事詩を読む(12):エンキドゥの冥界下り

ギルガメシュ叙事詩・第十二の書板を読んでいきます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

 

<第十二の書板>
エンキドゥの冥界下り

延長戦です。
前回で本編部分は終わったはずなのですが、標準版にはもう一つ書板が続くんですね。まさかギルガメシュ達の「その後」が書かれてるとか…??などと想像してしまうけれどそうではなくて。なんだか謎な書板なのです。
お話は、ギルガメシュが「プック」と「メック」という木製品を冥界に落としてしまうところから始まります(この「プック」と「メック」が具体的に何なのかは謎)。ギルガメシュの嘆きを聞き、エンキドゥは冥界に赴いてそれを拾ってこようとするのですが、冥界の掟を破ったせいで、冥界から帰って来られなくなってしまいます。エア神の取り計らいで、死霊になって帰ってくることができたエンキドゥは、冥界の様子についてギルガメシュに語るのでした……というところで終わり。唐突に始まって唐突に終わってしまう。謎です。

実はこの物語には「ギルガメシュ、エンキドゥ、冥界」という元ネタ(シュメル語伝承)があるようで、これの後半部分をアッカド語訳したものが、第十二の書板にあたるのだとか。だから、死んだはずのエンキドゥが出てくるし、叙事詩の流れと合っていない感じがするんですね。

月本先生の解説によれば、この第十二の書板は、標準版のギルガメシュ叙事詩が編集された際に付け加えられたものなんだそうです。そしてこの部分が伝えたいのは、冥界から帰ってきたエンキドゥ(死霊)とギルガメシュの対話部分で語られる「死者供養の重要さ」なのだといいます。
つまり、「(ギルガメシュの物語で分かったように)人間はいつか死んでしまうから、死後安らかに過ごせるように、供養をちゃんとしましょうね」と…そういうまとめになってるんですねえ。

 

ちなみに「第十二の書板」部分のエピソードは、7章バビロニアでも取り上げられていました。
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もしかしたら、「第十二の書板」というよりは、「ギルガメシュ、エンキドゥ、冥界」(元ネタ)の方を意識しているのかもしれません。

 

幼年期の終わり」に思いを馳せて。

書板の構成上、最後に脇道にそれた感がありますが、これにてギルガメシュ叙事詩は読了です。おつかれさまでした。
完走した感想は…と〆たいところですが、総括記事みたいなものを別のエントリにしたためようと思っているので、もうちょっとだけ続くのじゃ。

これまでは、ギルガメシュ叙事詩自体のおもしろさに没頭して読書をしてきたつもりです。しかしここはFate関連ブログ。最後は、これら原典を踏まえた上で改めて、「じゃあFate世界では『ギルガメッシュ』や『エルキドゥ』はどういう描かれ方になっているんだろう」・「7章バビロニアってどんな意味があったんだろう」ということを考えたいなーと思っています。というか考えています。

ギルガメシュ叙事詩」は、昔々の物語でありながら、「永生の希求」や「友情」、「自然への畏れ」など、様々なテーマを内包した物語でした。その【二次創作】とも言える「FGO7章・絶対魔獣戦線バビロニア」が冠するテーマは「幼年期の終わり」。つまり、叙事詩で描かれた「人らしく、人と共に生きる」ことを、「神からの卒業、母からの巣立ち、すなわちは『幼年期の終わり』」と…そう語っているわけですね。

 

多分これって、すごくすごくすごいことじゃないか???……って予感があるのです。

 

下総クリア、1.5部完走しました!

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やったーっ!!!!

 

ずーっと放置してしまっていた下総。霊脈石が配られたことにも後押しされて、ようやっとクリアしました!
難易度が高いって聞いてたからちょっと億劫になってたんですよね。けどやってみたら案外苦労せずに勝ち進めたので、これはもしや、自陣が成長したってことなのかしら。うれしい。

特にセイバー有利のクエストが多かったので、シャルル + 水着スカディさんが大暴れでしたね。宝具連射からのクリ殴りが盤石すぎる。
ボス戦・剣豪勝負での単体斬り合いでは、えるちゃんやクリームちゃんが大活躍。サーヴァント相手だったのでギルくんも輝いてましたよ。

 

あとは演出も凝ってて良かったです。特に剣豪勝負時のカットインに痺れました。

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ほら、5.5章の平安京を思わせるような…って逆ですね、平安京が下総前提で作られてたんですね。

というか、リンボや村正、この時点で顔見せしてたんかい!という話ですよ。武蔵ちゃんに至っては主人公枠だし。これ、オリュンポスの前に読んどきたかったって話ですよ!

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…ああ、そういえば、「1.5部やらなくても2部は行けるけど、下総はやっといた方がいいかも…🤔」って先輩マスターに言われてたんだっけ……。まったくその通りです……。村正おじいちゃまカッコいいね……。

 

とにかくこれにて、今フリーに解放されてるストーリーは読み切ったことになりました。2部7章に間に合って良かったです。もう今から、12月のナウイ・ミクトランがとにかく楽しみで仕方なくってね……😌

ギルガメシュ叙事詩を読む(11):ウルクはここに健在です!

ギルガメシュ叙事詩・第十一の書板を読んでいきます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

 

<第十一の書板>
洪水物語〜若返りの草〜ウルク帰還

 

「洪水物語」の原型も此処に

ウトナピシュティムは、「いかにして自らが永遠の命を手に入れるに至ったか」をギルガメシュに語ってきかせます。

かつて神々は、メソポタミアの地に大洪水を起こし、人間達を滅ぼすことを決定しました。人間の絶滅を避けるため、知恵の神エアはウトナピシュティムに助言をします。「方舟を造り、それにすべての生命種を載せよ」と。
ウトナピシュティムはその助言通りに事を成し、種々の生命は大洪水から逃れることができました。その功績により、ウトナピシュティムは不死を手に入れるに至ったというのです。
このお話は、かの有名な「ノアの方舟」…旧約聖書・創世記の一節の原型であったといいますから、歴史のロマンを感じるなあと思います。また、メソポタミアには他にも2つの「洪水物語」伝承が残っていて、それぞれに若干の差異はあるものの、「人間を滅ぼそうとするエンリル神と、人間に知恵を与えて援けるエア神」という構造は変わりません。

 

ここでFGO話をば。前回のエントリにも書いたけれど、プロトギルくんの「ナピュシュテムの大波」は、この「洪水物語」エピソードから取ってきているようです。

空間が割れ、ノアの洪水の逸話の原型となった大海嘯、ギルガメッシュ叙事詩の言うナピュシュテムの大波が都市に崩れ落ちる。
(Animation materialから一部引用)

衛星軌道上に展開された宝具「終末剣エンキ」の起動で海水が呼ばれ、7日後に「ナピュシュテムの大波」となるのだとか。叙事詩における洪水も7日間なので、日数的な設定も合致していますよね。
洪水を呼ぶ神様が原典と違いますが、まあそこはさしたる問題ではないでしょう。ここでのエモポイントは、【終末剣エンキ(プロト)→乖離剣エア(SN以降)/ナピュシュテムの大波(プロト)→ ナピュシテムの牙(FGO)】という継承関係だと思うので!

 

若返りの草を手に入れる

色々あってウトナピシュティムは、ギルガメシュに「生命の秘密」を明かします。それは、深淵(アプスー)に「若返りの草」があるという事。その草を手にすれば、永遠の命を手に入れられるという事です。話を聞いたギルガメシュは重石を足に縛り付け深淵に潜り、草を手に入れて喜ぶのでした。

 

FGOでは「冥界のメリークリスマス」にて、この話が出てきてましたね。

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「深淵の要石」なるアイテムを携えて、アプスーにいるエレシュキガルに会いに行く。冥界下りなのに楽しげでいい感じです。

 

それからちょっと気になった話。月本先生の解説に、

ギルガメシュはシュメル時代にはビルガメシュと呼ばれていたが、その意味がまさに「老人が若者である」であった

というのがあったんです。つまり、ビルガメシュという名前自体が物語の主題に直結しているよ、ということだと思うのですが…。
…うちの後輩からはこういう風に聞いてたんですよね。
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シュメル語はわからないのでちょっとお手上げです…。判明したら追記します。

 

ギルと蛇と三女神同盟

さて、無事に若返りの草を手に入れたギルガメシュでしたが、彼を哀しい運命が襲います。

ギルガメシュは冷たい水をたたえる泉を見て、下って行き、水で身をきよめていた。
一匹の蛇がその草の香りを嗅いで、音もなく忍び寄り、草を取り去った。戻って行くとき、それは皮を脱ぎ棄てた。

わ〜……… ; ; ; ; ; ;
なんたることか。若返りの草は蛇に盗まれて、ついにギルガメシュは、人間は、永生のチャンスを喪ってしまうというのです。そして代わりに蛇は「脱皮」という形で永遠を手に入れると…。「ギルガメシュは永遠の命を手に入れました、めでたしめでたし♪」にしてくれないんですよね。この辺がシビアで面白い。

 

FGOの観点からひとつ話を挟みますが、「ギルガメッシュに対する“三女神同盟”」って、「ギルガメシュにとっての“蛇”」を意識した設計になってるんだろなと思います。


①ゴルゴーン→思いっきし蛇
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②ケツァル・コアトル→実は蛇属性
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③エレちゃん→蛇権能あり
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ギルガメッシュ特攻(蛇)勢揃いとは恐れ入りました。

あとこれは余談ですが、弊カルデアにギルくん(弓)が来てくれた時、ヴリトラさん(蛇)が一緒に来て戦慄した記憶があります。ちなみに天井でした。怖。。。。。。。。。

 

ウルクはここに健在です!

いよいよ叙事詩はクライマックス。物語は、なんとも言えない粋さでもって〆られます。
若返りの草を奪われたまま、ウルクの街に辿り着いたギルガメシュ。彼は、舟師ウルシャナビに語って言うのです。

「ウルシャナビよ、ウルクの城壁に上り、往き来してみよ。礎石をしらべ、煉瓦を吟味してみよ。…」

目前に在るウルクの街を語るその言葉は、なんと叙事詩冒頭・第一の書板の繰り返しになっています。ギルガメシュが何を感じているのか、その後どうなったのかは一切語らず、ウルクの街をこそ語り、そして話を閉じるわけです。

……めっっっっっっっちゃかっこいい。
なんかこう、洋画のエンドロールが見えるんですよね。ウルクの遠景に重なって聞こえるギルガメシュの語り……最後のセリフでだけブラックアウトして、一拍おいてエンディング。これでしょ!!!

 

叙事詩はこうしてスマートに終わるわけですが、FGOでは、ギルガメッシュ自身によって「そのあと」が語られます。

「何を隠そう、我(オレ)も自分の国を滅ぼした事がある。…略…不老不死の探究にかまけてな。放浪したあげく、釣果無しで国に戻ればそこは廃墟同然。王の不在にあきれた民たちは他の都市に移り住んでいた。残っていたのはシドゥリぐらいなものよ。そのシドゥリも、“一言あなたに文句を言わないと気が済まなかった”と恨み節全開でな。ははは。これはまずい、とウルクを立て直すことにした。…略…ここまで長かったようで、短かった。一瞬の、夢の名残のようなものだ」

長めに引用しました。つまるところFGO7章というのは、「ギルガメシュ叙事詩」の「その後」。続編を描いた壮大な二次創作のようなモノなのですよね。『ギルガメシュ王はどうなったんだろう』『ウルクは、エンキドゥはどうなったんだろう』…その空想に応える物語を、シュメルの諸伝承とFateの文脈を混ぜ込みながら形にした傑作だと思います。FGOは平成令和の時代でも大ウケしたわけですが、きっとこれ当時のバビロニアでもウケてたでしょうね。だって、「ギルガメシュ叙事詩の続編でエヌマエリシュしようぜ!」ですからね、もう本当にすごいですよ。

 

長いエントリになりましたが、これで第11の書板は終わり。長かったギルガメシュ叙事詩の読書も一区切りです。もう1つ、番外編のような書板があるので、それを読んでからまとめに入ろうと思います。

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プリズマ☆イリヤ ドライ!! + 劇場版がおもしろかった

プリヤのアニメ4期と、劇場版(「雪下の誓い」/「Licht 名前の無い少女」)を観ました。
ええっ…めちゃおもしろくないですか???

 

いや、これまでも面白かったですけど、3期までってもうざっくり言っちゃえば「戦闘シーンもガチってる萌えアニメ」だったじゃないですか。けど4期以降は「ガチガチのバトルもの(萌えもあるよ!)」くらいになってて…。作画に加え、シナリオがほんとおもしろいなって思いました。イリヤちゃんが次々にコスプレ…もとい、インクルードしてくれるのも楽しいですしね。顔見知りのサーヴァント達だから、やっぱり「おっ」てなる。ヘラクレスを宿して戦うイリヤちゃんに涙。

 

あとは美遊兄がめちゃ強くてびっくりしました(詳しいことはわからないけど、ほかの士郎’sより強い気がした)。ドライ!!のクロちゃんと美遊兄が並んで戦うシーンでエミヤソングが流れた時は、誇張なしで「かっけぇ…」って言っちゃったもんね。
「雪下の誓い」にてしっかりと描かれる、美遊兄と美遊ちゃんの切ない関係もすばらしい。にしても「固有結界に雪降らせちゃお!」って考えたの天才じゃないか??

 

それからやっぱりギルくんかなあ。ツヴァイ!ではラスボスだったギルくんですが、ドライ!!ではつれっと仲間になってくれます。味方側のギルくんって、頼りみというか、貫禄がすごいですね。私は「お兄さん属性のあるショタ」が最高に好きなので最高でした。かわゆな声で「雑種!」て言わないで(言っていいよ)。

 

しかし、プリヤほど他人に勧めづらいアニメって他になくないですか?相手が男性でも女性でもやや警戒されそうだし…。ドライ!!から見るなら「まあ大丈夫かな」って感じだけど、無印からみないといまいち面白さが伝わらなさそうだし……。劇場版は危険なシーンゼロですけど、劇場版から見ても話分かんないですよね。つまり無印から見せるしかないのだが…(以下無限ループ)。そもそも、Fate大元の流れをある程度知らないと、「このシーンの何がエモなのか?」が伝わりづらく、面白さが半減してしまうのかもしれません(私も全てのエモポイントは掴めてないんだろうなと思う)。

 

まあでも、クロちゃんがめちゃくちゃかわいいのでいっか!!

ギルガメシュ叙事詩を読む(10):シドゥリとの邂逅、人間の「運命」

ギルガメシュ叙事詩・第十の書板を読んでいきます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

 

<第十の書板>
酌婦シドゥリ、ウトナピシュティムとの邂逅

 

酌婦シドゥリと享楽的人生

永生を求めて旅するギルガメシュは、酌婦シドゥリと出逢います。シドゥリとは「知恵の女神」「生命の守護者」とも呼ばれる女神のこと。「酌婦」と聞くと、現代日本に生きる私は、「上司にお酌をする」みたいなシチュエーション…要するに「身分の低さ」を想像してしまうのですが、実際には逆のようです(例えば古代オリエント世界には「献酌官」という王の最側近を意味する職業があった)。
酌婦シドゥリはギルガメシュに、限りある人生を楽しんで生きよと、享楽的な人生論を語ります。しかし、悲しみと死への恐れで心がいっぱいのギルガメシュは、旅をやめることはしませんでした。

 

ここでFGOの話を挟みます。FGO世界に、この酌婦シドゥリの役割を果たす人物は登場しませんが、この名前といえば、やっぱり彼女ですよね。
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シドゥリさ〜〜ん…泣泣泣
「祭司長」という立場でギルくんの側近的な働きをしてくれていたシドゥリさん。役割こそ違えど、ギルくんに関わる人物のひとりとして名前が使われていますね。
なおこの話は、バビロニアのアニメ公式HPの“character column”欄に詳しく記載されています。

CHARACTER | TVアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」公式サイト

(…というか、この“character column”、他のキャラクターのコラムも含め、全体的にすごくよくまとまってる気がするというか…、お手軽にキャラクターデザインのバックボーンを知りたい場合は、ここ読めばばっちり事足りるんじゃないかな!?と思いますね…)

 

ウトナピシュティムと神への信心

シドゥリと別れたギルガメシュは、ついに、永生の謎を知る人物・ウトナピシュティムと出逢います。ウトナピシュティムは「生命を見た者」という意味で、シュメル伝承に登場する「ジウスドラ(「永続する命」の意)」がアッカド語で解釈された名前と考えられているそうです。詳細は次回の記事に譲りますが、ウトナピシュティム(/ジウスドラ)はかつて、大洪水から世界を守った人物でした。
ウトナピシュティムはギルガメシュに、死からは逃れられないが、神に仕え、信仰することで、災いを遠ざけることができると説きます。でも、やっぱりギルガメシュは永生を諦められませんでした。

 

…ここでFGOタイムです。この「ジウスドラ」という名前は、7章バビロニアにも登場しますね。
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シュメルの伝承を踏まえてこのように名乗ったと考えると、おじいちゃま、かなり粋だなあと思います。

 

あと、これも関連ワードだと思うんですが…どうでしょう?
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「ナピュシテムの牙」…ティアマトのケイオスタイドを防ぐために王自らが作った、防御壁のようなものでした。これって多分、Fate/Prototypeでのプロトギルくんのわざ「ナピュシュテムの大波」を意識したネーミングですよね? プロトで洪水を起こすわざだったものが、FGOで洪水を防ぐわざとして登場するというのは、かなりエモみです。
また、蒼銀じゃないプロト(ややこしい)は詳しくないのですが、「ナピュシュテムの大波」を起こすには、「終末剣エンキ」を使う必要があるとのこと。この「エンキ」とは「エア」のシュメル語表記なので、今のギルくんの「乖離剣エア」の元ネタであることがパッとわかります。ちなみに、シュメル伝承で洪水を起こすのは神エンリルであり、水と知恵の神エンキ(エア)は人間に手を差し伸べる役回りでした。詳しくは次回で!

 

「運命」

最後に、感想じみたFateの話をします。
第十の書板で語られるシドゥリとウトナピシュティムの人生論には違いがありますが、2人とも、「死からは逃れられない」ということをギルガメシュに説きます。

「人間の名前は葦原の葦のようにへし折られる。(略)
死は怒りのなかで人間をへし折るのだ。」

上記は、標準版(月本先生訳)の、ウトナピシュティムの台詞です。かつて「とこしえまでも我が名をあげたい」と願ったギルガメシュの望みを打ち砕くような、印象的な言葉ですよね。

そして、そんな誰しもに訪れる死について、第十の書板では、以下のようにも喩えられます。

「彼(エンキドゥ)を人間の運命が襲ったのだ」

「彼は、しかし、人間の運命に赴いてしまった」

「神々がエンキドゥをその運命に連れ去ったのだ」

…運命。
ギルガメシュ叙事詩では、「人間の死」こそを「運命」として語るというわけです。

く、く〜っ…!