あたたかいパンとシチュー

「重いとも。そしてその重さを楽しめ、雑種」

ギルガメシュ叙事詩を読む(10):シドゥリとの邂逅、人間の「運命」

ギルガメシュ叙事詩・第十の書板を読んでいきます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

 

<第十の書板>
酌婦シドゥリ、ウトナピシュティムとの邂逅

 

酌婦シドゥリと享楽的人生

永生を求めて旅するギルガメシュは、酌婦シドゥリと出逢います。シドゥリとは「知恵の女神」「生命の守護者」とも呼ばれる女神のこと。「酌婦」と聞くと、現代日本に生きる私は、「上司にお酌をする」みたいなシチュエーション…要するに「身分の低さ」を想像してしまうのですが、実際には逆のようです(例えば古代オリエント世界には「献酌官」という王の最側近を意味する職業があった)。
酌婦シドゥリはギルガメシュに、限りある人生を楽しんで生きよと、享楽的な人生論を語ります。しかし、悲しみと死への恐れで心がいっぱいのギルガメシュは、旅をやめることはしませんでした。

 

ここでFGOの話を挟みます。FGO世界に、この酌婦シドゥリの役割を果たす人物は登場しませんが、この名前といえば、やっぱり彼女ですよね。
f:id:taira005:20221002232054j:image
シドゥリさ〜〜ん…泣泣泣
「祭司長」という立場でギルくんの側近的な働きをしてくれていたシドゥリさん。役割こそ違えど、ギルくんに関わる人物のひとりとして名前が使われていますね。
なおこの話は、バビロニアのアニメ公式HPの“character column”欄に詳しく記載されています。

CHARACTER | TVアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」公式サイト

(…というか、この“character column”、他のキャラクターのコラムも含め、全体的にすごくよくまとまってる気がするというか…、お手軽にキャラクターデザインのバックボーンを知りたい場合は、ここ読めばばっちり事足りるんじゃないかな!?と思いますね…)

 

ウトナピシュティムと神への信心

シドゥリと別れたギルガメシュは、ついに、永生の謎を知る人物・ウトナピシュティムと出逢います。ウトナピシュティムは「生命を見た者」という意味で、シュメル伝承に登場する「ジウスドラ(「永続する命」の意)」がアッカド語で解釈された名前と考えられているそうです。詳細は次回の記事に譲りますが、ウトナピシュティム(/ジウスドラ)はかつて、大洪水から世界を守った人物でした。
ウトナピシュティムはギルガメシュに、死からは逃れられないが、神に仕え、信仰することで、災いを遠ざけることができると説きます。でも、やっぱりギルガメシュは永生を諦められませんでした。

 

…ここでFGOタイムです。この「ジウスドラ」という名前は、7章バビロニアにも登場しますね。
f:id:taira005:20221002232219j:image

シュメルの伝承を踏まえてこのように名乗ったと考えると、おじいちゃま、かなり粋だなあと思います。

 

あと、これも関連ワードだと思うんですが…どうでしょう?
f:id:taira005:20221002232257j:image

「ナピュシテムの牙」…ティアマトのケイオスタイドを防ぐために王自らが作った、防御壁のようなものでした。これって多分、Fate/Prototypeでのプロトギルくんのわざ「ナピュシュテムの大波」を意識したネーミングですよね? プロトで洪水を起こすわざだったものが、FGOで洪水を防ぐわざとして登場するというのは、かなりエモみです。
また、蒼銀じゃないプロト(ややこしい)は詳しくないのですが、「ナピュシュテムの大波」を起こすには、「終末剣エンキ」を使う必要があるとのこと。この「エンキ」とは「エア」のシュメル語表記なので、今のギルくんの「乖離剣エア」の元ネタであることがパッとわかります。ちなみに、シュメル伝承で洪水を起こすのは神エンリルであり、水と知恵の神エンキ(エア)は人間に手を差し伸べる役回りでした。詳しくは次回で!

 

「運命」

最後に、感想じみたFateの話をします。
第十の書板で語られるシドゥリとウトナピシュティムの人生論には違いがありますが、2人とも、「死からは逃れられない」ということをギルガメシュに説きます。

「人間の名前は葦原の葦のようにへし折られる。(略)
死は怒りのなかで人間をへし折るのだ。」

上記は、標準版(月本先生訳)の、ウトナピシュティムの台詞です。かつて「とこしえまでも我が名をあげたい」と願ったギルガメシュの望みを打ち砕くような、印象的な言葉ですよね。

そして、そんな誰しもに訪れる死について、第十の書板では、以下のようにも喩えられます。

「彼(エンキドゥ)を人間の運命が襲ったのだ」

「彼は、しかし、人間の運命に赴いてしまった」

「神々がエンキドゥをその運命に連れ去ったのだ」

…運命。
ギルガメシュ叙事詩では、「人間の死」こそを「運命」として語るというわけです。

く、く〜っ…!