あたたかいパンとシチュー

「高所恐怖症パイロット?」

ギルガメシュ叙事詩を読む(2):もぐもぐもぐの謎

ギルガメシュ叙事詩・第二の書板を読みます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

<第二の書板>
人間らしくなるエンキドゥ〜友情の芽生え〜遠征を望むギルガメシュ
※標準版・第二の書板は欠損が多く、古バビロニア版にて補う必要あり。

シャムハトについて考える

エンキドゥの生に欠かせない人物・シャムハトについて読んでみます。彼女はウルクから派遣された「神殿娼婦」でした。「神殿娼婦」とはなんなのか…ちょっと想像と理解が難しいところなのですが、例えばハンムラビ法典にも神殿の女官が妾の役割を果たしたことが記されているようです。ただし、単なる「娼婦」ではなく、交わりによってなんらかの聖的影響をもたらす存在だったようですね。とにかく、エンキドゥは彼女と交わったことで知恵とたしなみを身につけて、ウルクへ向かうことになるのです。
ところで、エンキドゥがシャムハトと語らうシーンには「ムリッス」の神名が出てきます。ムリッスは、エンキドゥの個人神・エンリルの配偶女神なのですが…ここに、エンキドゥ→シャムハトの聖的な信頼があると考えるのは飛躍しすぎでしょうか?(しすぎだと思う)

彼女(シャムハト)は着物を引き裂いて(脱いで)、
その一つを彼(エンキドゥ)に着せ、もう一つは彼女自身が着た。
彼女は彼の手をとり、女神のように羊飼いの小屋に彼を導いた。

バビロニア版・シャムハトがエンキドゥを導くシーンの月本先生訳です。おようふくを着せてあげるという、なんだか愛を感じるシーンです。

…少しフェイトの話をしますかね。フェイトでは、エルキドゥはその姿形について「シャムハトを模した」と言っています。

そんな僕に人として接してくれた女性(ひと)がいた。この姿は彼女を模したものです。……かつてのこの器(からだ)に心を与えたもの。その心を讃える為に、僕はこの姿を維持しています。

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プロフィール2でも確認できますね。ただしこれはFateの独自設定かなと思います。文章中でも見つけられないし、当時の図像を見ても、長い髭を蓄えた男として描かれているので…。でも、
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「古い同胞やシャムハト、そしてギルが人間らしさを刻んだ結果が、今の僕」…このことは、エンキドゥ/エルキドゥともに有する要素であって。そして、彼/彼女のいちばんの魅力だなと思います。神に造られた「モノ」が、人と出会い、人になっていく。

もぐもぐもぐ…

第二の書板には、「人間らしさ」について、もうひとつ挙げておきたいシーンがあります。上に続くシーンで、目の前に置かれたパンとビールを見ても、エンキドゥにはそれが何かわからなかった…というシーン。シャムハトはエンキドゥに語ります。

エンキドゥ、パンをお食べ。それが生きるしるしです。
ビールをお飲み。それが国のならわしです。

わ〜…( ; ; )
月本先生の古バビロニア版訳なのですが…なんてうつくしいんだろうか…。食べること、飲むこと…それが生きるしるし、国のならわし。すなわち「人間らしさ」なのですね。心が震えるうつくしいくだりです。このあと、たくさんパンを食べて、7壺もビールを飲んだエンキドゥは、

彼は気持ちがなごみ、嬉しくなって、心躍らせ、表情を輝かした。

となります。「生きる喜び」を知るんですね。

…よし。フェイトの話をします(2回目)。
エルキドゥの「霊基再臨2」の台詞、突然、「もぐ、もぐ、もぐ…」て言うんですよね。これホント突然で、最初はすごくびっくりしたんですが、↑のエピソードを知ってからは、「たくさんパンをお食べ…」って思うようになりました。この話を参照してのセリフ設定ならば、なかなかニクいですよね。

最後にお気に入りシーン

ウルクはえぬきがいかに強いか、国中に聞かせてやりたいものだ。
わたしは手を下し、香柏を伐り倒そう。
とこしえまでもわが名をあげたい。

フンババが住む森への遠征を望むギルガメシュの台詞。月本先生のラピス・ラズリ版訳です。この「とこしえまでもわが名をあげたい」がすごすぎると思います。めちゃくちゃ、めちゃくちゃかっこいいです。なお、96年訳は「永続するわが名をあげたいのだ」、矢島先生訳は「永久(とわ)なる名を私は打ち立てるのだ」となっています。矢島先生訳もまた趣がありますね…。
ちなみに、古代オリエント博物館が作ってくれたギルガメシュ叙事詩朗読CD(なんと関さんの朗読!)にもこのセリフは含まれてるのですが、まじで本当にすごいです。ウワ〜〜!ってなる…。語彙無…。

しかし、このギルガメシュの「英雄観」はある事件をきっかけに変わっていくことになります。その変化こそが叙事詩の魅力のひとつでもあるわけですがーーそれはまた、次の書板で。(…って締めたら、蒼銀のあとがきみたいになって楽しいですね!(伝わらないネタだよ!))。

 

※読んでる本については「ギルガメシュ叙事詩を読む(1):全知なるや全能の星」をご覧ください〜。

 

「それからずっと、2人はしあわせに暮らしました」

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「伝承地底世界 アガルタ」クリアしました!
夏を経て自陣戦力に余裕が出てきたので、今回はいろんなサーヴァント達に頑張ってもらいました。シナリオでアストルフォが頑張っていたので、例えばシャルルマーニュ組を並べてみたりね。

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マイティチェイン、かっけ〜です( ; ; )

最終盤のシェヘラさん達はキャスターだったので、「よっしゃ!これはうちのファラオが大活躍じゃんな!」とはしゃいでいたのですが、なんか執拗に「王」メタ貼られてて泣きました。「じゃあギルくん…」となりましたがやはり王、「ならシャルル…」もやっぱり王()。もしかしてうちのカルデア、王多すぎなんでしょうか?? 結局アタッカーはカーマちゃん、ボイジャーくん、わんわん達に任せることになりました。

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このボイジャーくんの枠にアタッカーを置く感じです。スカディさんで挟むと恐ろしい火力が出てびっくりしました。いま弊カルデアはクイックがアツいです。なんと令呪&石なしで突破しきれたんですよね、自分達の成長を感じました。

 

ストーリーの方は、ああ、これは結構攻めたな〜と感じました。下ネタではなくて、扱うテーマが、です。
下ネタ…というか、文章に使われている語彙が偏っているので、言葉が苦手に感じた人もいたんじゃないかと思うのですが、扱っているテーマ自体はちょっとぐさっとくる話だったというか。

だいたい、ギリシャ人もローマ人もアラブ人も。つまりはお前らんトコにいる英霊達も!
生前は澄まし顔で奴隷を使ってたに決まってンだぜ!ローマ皇帝もファラオもその筆頭だろうが!

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レジライさん…ええと、コロンブスのセリフと、それから、邪智暴虐な王に殺されることを恐れ続けたシェヘラさんという設定。
これって要するに、いま英雄としてカルデアにいるみんなが、いまの世界の基準で「善」であったかどうかは別のお話ですよ…と。彼ら彼女らの「せい」で苦しんだ数多の人々がいるやもなのですよ…と。そういう話ですよね。…ね、どきっとしますね。
いまの世界の基準で「悪」であっても、彼ら彼女らの基準で「悪でなかったこと」。例えば、コロンブスが持ち出した奴隷制の話、シェヘラさんのトラウマになってしまった暴君による圧政、あるいは男尊思想…。今回は取り上げられなかったけれど、名指しでファラオが指摘されたので思い巡らせれば、例えばソロモンが「ファラオは気にいらない」と感じていることとか…やっぱり物思いの種になるわけです(マテリアルⅳ)。
しかしフェイトはフィクションの世界。ゆえに、そういったことは、英霊達の良心にしたがって…こう、ふわっと。いい感じに丸くおさめているわけです。迂闊には語れないし、語るべきでないと思いますから(だからオジマンディアス→モーセのコメントが、未だに黒塗りで潰してあるんですよねきっと。語る準備をしっかりとしなければ語れない、語るべきでない…ってことなんだと理解しています)。
ちょっと話が脱線したけれど、とにかく、そういうフェイトのヒヤッとするとこに切り込む、チャレンジングなお話だったと思います。

 

ただ、せっかくならもう一歩踏み込んでほしかったな、と思うのは、ラストのフェルグス→シェヘラさんの説得シーンです。小さいフェルグスはストーリーを通してすごくいい活躍をしてくれるのですが、最後、「愛し合う男女が結ばれ、愛し子が生まれること」を生の喜び(死の恐れの克服)と語る点は、ちょっとオールドな感じがしました。それこそ最新の「善」なのか…考えさせられますね。もちろんフェルグス自身の「善」としてはOKなんだけども、この辺りの価値観って、特に最近すごく変わってる気がするので、それを説得として使うと、腑に落ちないと感じる人も多いんじゃないかしらと思います。

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こんな含蓄たっぷりの台詞があるので、例えばフェルグスが、「今なら」では、「シェヘラさんならでは」の「喜び」にちらっとでも触れてくれたら、かつての善に固執したコロンブスとのいい対比になって、もっとカッコよかったんじゃないかな〜と思ったりします。

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そうしたら、「happily ever after - それからずっと、幸せに暮らしました」もクール。「これは、王ではない人々が、それぞれの喜びを探した物語」…みたいなね(照)。


最後に。

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それは! ラムセウス・テンティリスの専売特許です〜!!😭

ギルガメシュ叙事詩を読む(1):全知なるや全能の星

ギルガメシュ叙事詩・第一の書板を読みます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

<第一の書板>
ギルガメシュ讃歌〜エンキドゥとシャムハトの出会い〜友の訪れを示す夢

 

全知なるや全能の星

どんな物語においても、いちばん初めの一言…つまり冒頭文とは、非常に重要なモノでしょう。ギルガメシュ叙事詩の第一文は彼を讃える言葉であり、月本先生訳においては、次のように訳出されます。

深淵を覗き見た人について、わたしはわが国人に知らしめよう。
すべてを知った人について、すべてをわたしは教えよう。

う〜ん…何度聞いても痺れる語り出しだなと思います。大好きです。
一方、矢島先生訳では、

すべてのものを国の果てまで見たという人
すべてを味わいすべてを知ったという人

とされており、他に同様の訳出も多いようですから、もしかしたらこちらの方がメジャーなのかもしれません。

冒頭の語句は“シャ・ナクバ・イムル”。この、「nagba」の部分を「深淵」と訳すか「あらゆること」と訳すかで差が出ているみたいです。月本先生訳の「深淵」は解説にもあるとおり、のちにギルガメシュが若返りの草を取りに向かう「アプスー」を意識された訳出だと思うのですが、物語の展開を読者(聞き手?)に予感させてくれる素敵な訳だと感じます。好きです。ちなみに、先日…でもないか。22年5月に静岡で上演されたSPACさんのギルガメシュ叙事詩は、月本先生の“ラピス・ラズリ版”をベースにしていらっしゃる所以で、この「深淵」ということばを印象的に使われていました。いまの日本に生きる人間目線ですが、「深淵」ということばの持つ吸引力を感じた機会でした。

…よし、突然Fateの話をします。
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子ギルくんの宝具「全知なるや全能の星(シャ・ナクパ・イルム)」ってこれですよね(イルム←→イムルでひっくりかえってるけど)。プロフィール4の説明を見る感じ、矢島先生訳を意識してるような気がします。マテリアル確認しましたが、大きいギルくんの宝具としてもちゃんと登録されてますね。
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また、キャスギルの説明にも「すべてをみたひと」
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あと、テラリンのスキルでも「全てを見たもの」と。
後半2つは宝具…というか千里眼の話をされてるのかもですが、この冒頭一句から来てる設定であることは言えそうだなと思いました。

ギルガメシュの家族とか

父・ルガルバンダ
シュメル王名表では第3代の王で、おそらく実在した王。死後に神格化されたらしい。
ちなみに、ギルガメシュはルガルバンダの長子で第5代王。第4代王はドゥムジ。
母・ニンスン
ルガルバンダの配偶女神。ギルガメシュの夢解きをしてくれたりする。
このほか、叙事詩全体を通してギルガメシュをサポートしてくれる太陽神シャマシュは、ギルガメシュの個人神(Personal Deity)だったと考えられるようです(個人神=都市の神様などとは別に、個人的な守護神として特定の神様を信仰する習慣。新シュメル時代以降、のちのバビロニアアッシリア時代にまで引き継がれた)。ちなみにエンキドゥの個人神はエンリル。

「結び目」とはなんぞや

ところで第一の書板から、さっそく謎の表現が出てきます。「ニヌルタの結び目」、「アヌの結び目のように強い」と…(96年版月本先生訳)。とかく「結び目」なる表現が繰り返されるのです。月本先生によれば、正確な意味は不明で、「硬い隕石」「天体」とも訳されるようです。矢島先生訳では、「ニヌルタに力受けし者」「アヌの精髄のように彼の力は強い」となっていて「力強さ」を表現しているようです(一部、「天の星」を意味するとしたシーンも)。
「ニヌルタ」・「アヌ」は神様の名前ですから、天の神々が内包している力強さ(がもたらされる)…みたいな意味合いなんでしょうか。
また、結び目と聞くと反応してしまうエジプト勢。「イシスの結び目(knot of Isis)」なるものがあって、これは本当に衣服の結び目だったと思うのですが、あのアンクの異形らしいのですよね。アンクは「生命力」をあらわすモチーフだけど、同じようなイメージでいてOKなのかな。

…よし、突然Fateの話をします(2回目)。
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テラリンのスキルで、「ニヌルタの鬨(とき)」「アヌの籠目」なるスキルがありますが、こちらの神様ですね。ニヌルタは戦いの神様なので、前者は「戦神ニヌルタによる鬨の声」のような感じでしょうか。いいですね。
アヌは天の最高神ですが、籠に関する話、あったかなあ…。単純に、このスキルの効果の描写なのかもしれないです。

最後にお気に入りシーン

エンキドゥよ、人生を未だ知らない方よ。
あなたに喜びと嘆きの人、ギルガメシュを紹介いたしましょう。

聖娼シャムハトがエンキドゥをウルクへ誘うシーン、月本先生の訳です。いや、泣けてくるうつくしさがありますね…。
エンキドゥへの言葉は「人生を未だ知らない」…つまり、ウルクへ赴きギルガメシュと出会い、きっと彼は「人生を知ることになる」んだろうという予感が溢れてる。まるで冒険物語の序章、静かな物語のはじまり、みたいな匂いを感じます。
一方ギルガメシュへの言葉は「喜びと嘆きの人」…心がざわつきますね。だってギルガメシュは神々に祝福された王、一体彼の「嘆き」とは…予感がふくらむ名訳だと思います。暴政に苦しむ人々の「嘆き」なのか、孤独な君主の「嘆き」なのか、それともこれから彼らに訪れる「死の嘆き」の予告なのか…。
ここは、ぜひいつか原文を読みたいと思っています。

 

(読んでる本)

 

 

深淵を覗き見る?

突然ですが、96年版のギルガメシュ叙事詩訳本を取り寄せました。

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表紙にハトロン紙かけててわかりづらいですが、カバーも中表紙もカッコいいです。
元々ぷねうま舎の「ギルガメシュ王の物語」を読んでいたのですが、そろそろほんとの訳文と比較しながら読んでみたいなと…そういう理由で購入に踏み切りました。
もちろん、ぷねうま舎の方もすごく良いんですよね。(96年版読んでわかったことですが)訳註に値するものが本文に組み込まれてて、欠損部分が補われてる。史料じゃなくて「おはなし」として読めるのがすごく良いし、何より先生の日本語がすきです。
(最近メソポタミアの勉強メモばかり残してる理由なのですが、どうやらわたしは、月本先生の「ファン」になってしまったみたいなんですよね。特に先生の言葉…書かれる言葉も話される言葉もどっちもが、ほんとうに素敵だなと感じます。先生のような言葉を使えるひとになりたい。)

96年版は訳註もりもりで、かつ標準版、古バビロニア版…と細かくバージョン違いで読めるのが、すっごいなあという感じでした。訳註のおかげで、やっと「プック」が「詳細不明」であることがわかりましたよ。ずっと気になってた(ほんと、プックてなんなんだ…)。
しかし、まずは第一の書板ぶんだけ読んだのですが、やっぱりカロリー高いですね。ゆっくりいきます!

あと、96年版には先生の解説文がたくさん載っているんだけど、これが最高でした…。ほんとうにありがたいです。コヘレトの言葉との比較も載ってて、え?!てなりました。いや、古代オリエント文化の流れで旧約聖書も勉強中なのですが、コヘレトの言葉っていいな〜と思っていたところだったので…。こういう、突然の関連が出てくると、勉強って面白くなるなあ、なんて思ったり。

この辺りの勉強はほんとに先が長くて深いんだけど、締切も期限もないからすごく穏やかで豊かな感じがします。たのしいです。「これは!!」という発見があったら、またまとめようかなと思います。

追伸。
こういう書籍たちを踏まえて考えてみると、オリ博で出してた展覧会冊子「ギルガメシュ古代オリエントの英雄たち」はコンパクトで読みやすい、すごい冊子だったのでは?!って気がしてきました。図表や写真もカラーで見られるので、今も愛用?愛読?しています…😌

春日局様が実装されてないって本当ですか?!

春日局様が実装されてないって本当ですか?!?!(2回目)

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ーーというわけで。「大奥」、クリアしました!
とにかく女性陣が魅力的なお話でしたね。FGOは女の子がホントに可愛くて、カッコよくて、いつもときめいてしまうのですが…大奥はとくに、でした。
中でもわたしのいちばんは、やっぱり春日局様でしょうか。最後の最期まで、ほんとうに素敵なひとでした(実装お願いします…)。

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あとはカーマちゃん&キアラさんのビーストコンビも好きですよ。

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こういうの。…ふつーにドキドキしてしまうって!笑

 

終戦は↓のパーティでいきました。

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せっかくなので弊カルデアのカーマちゃんで削りつつ、ラストを王様とえるで〆ようかしらと思っていたのですが、結局カーマちゃんが全部倒し切ってくれました。めっちゃ強いですね?!

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これは、水着のマシュとスカディさんを連れて行ったので、カーマちゃん氾濫ワールドにはしゃいでるみたいになってしまった図。すまん!

大奥探検のイカれたメンバーを紹介するぜ

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「徳川廻天迷宮 大奥」をはじめました。先日の福袋でカーマちゃんが来てくれたことにも背中を押されて始めたのですが…これ、めっちゃ時間かかるやつだ!!せっかくなので全踏破して、報酬を取りきりたいなと思うところです。

さて、今回は出撃できる騎数に制限があるので、パーティに悩みました。
普段だったら、【アンデルセン(相棒枠)+オジマンディアス王(主将枠)+つよいこ(サポート)】って感じで組むんですけど。なんか…王様…この大奥という場でマジで頼りにならなそうで…ならなそうじゃないですか?!(暴言)あの人、数十人の側室と、100人以上の子供作ってるんですよ。こういう場所を、自分の庭だと思ってそう。それ慢心ですから!!(暴言)

ならばこの特異点を誰に任せるか…。霊基一覧を見ながら悩んで、↓のようになりました。

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クリームヒルトちゃんです!! よくないですか!?
だってほら、あやしい女の園に、喪服で、しかも大剣引っさげて赴くバーサーカー、なんですよ。しかも戦い終わった後「呪いと憎悪に勝るものはないってことね?」とか言うんですよ。この、「本人にな〜んの文脈も伝わってない」かんじ! めっちゃ良くないですか? 最高。
また、そんなクリームヒルトちゃんをArtsバフでサポートしつつ、かつ全体宝具も打ってもらうために、キャスターなギルくんにも来てもらいました。弓ギルくんは大奥慢心勢だと思うのですが(叙事詩の話になりますが、初夜権振りかざしてたのにえるが激おこするの、楽しいですよね(暴言))、キャスギルは、その辺ちゃんとしてそうだなって思ったので。でもここ大奥なのに、宝具撃つたびウルクの話してるから、やっぱりなんも分かってないのかもしれないです。

ギルくん「ウルクの守りを見せるがいい!」
クリームちゃん「呪いと憎悪に勝るものはないってことね?」
カーマちゃん「😥」
カーマちゃんやキアラさんがどれだけ意味深なことを言っても、クリームちゃんは旦那さん、ギルくんはウルクのことしか考えてないからほんとに何も伝わらない。隣の玉藻ちゃんの心労がやばい。いつも苦労かけますね……。

メソポタミアばなし③(古アッカド時代)

月本先生の文化史講義(22年度・前)を修了しました。手術入院とかいう意図せぬ長期休暇のおかげで、昨年度回含めて履修できてしまったので、これもまた人生よな…などと思う日々です。例によって、悪さない程度にちょこっとだけメモします。

 

【BC2350〜2150:古アッカド時代】
メソポタミアにおいて、最初に「統一王朝」が樹立された時代。シュメル人ではなくセム系民族による王朝。

◎初代王:サルゴン
都市キシュの献酌官であったが、周辺諸都市を支配下におさめ、統一王朝を樹立する。ルガルザゲシ(ラガシュやウルクを制圧したウンマ第一王朝の王。前ノート参照)を撃破した記録が残っている。「捨て子伝説」のような誕生説話を含む、さまざまな伝承物語が残っている。
◎2代王:リムシュ
シュメル諸都市で起こった反乱を制圧した。
◎3代王:マニシュトゥシュ
積極的な対外遠征を行うが、暗殺されたと考えられる。
◎4代王:ナラム・シン
アッカド王朝の版図を最大とした王。シュメル諸都市の「大反抗」を制圧したり、東方の山岳民族を滅ぼしたりした。
また、メソポタミア史で初めて、自らを神格化した王。
◎5代王:シャルカリシャリ
治世後半でラガシュやウルが独立へと動き、また他民族の侵攻も受けた。
◎6代王:ドゥドゥ/7代王:シュ・トゥルル
混乱期を経て王位に就くも、アッカド王朝は滅亡する。王朝滅亡の理由は未だはっきりとしていないが、山岳民族グティ人の侵入などが考えられる。

【諸都市の独立】
シャルカリシャリ以降、シュメル諸都市は独立へと向かっていく。アッカド王朝以前より有力であったラガシュでは、ウル・ババ/グデアという君主のもとで、再び繁栄期を迎える(新シュメル時代へ)。さらに都市ウルクでは、ウトゥへガル/ウル・ナンマがグティ人を滅ぼし、ウル第Ⅲ王朝を樹立する。


…以降、わたしがかんがえたことです。

【「統一王朝の崩壊」がもたらしたもの】
この頃のエジプトは、古王国時代の終わりから第一中間期の頭(古王国時代:BC2686~2181/第一中間期:BC2181〜2055)。地方豪族の権力が強大化しはじめ、王権が衰退し、800年ほど続いた「ファラオによるエジプト統一」が崩れた時代です。
つまり、「統一王朝の崩壊」が、エジプト・メソポタミアでほぼ同時期に起こっているのですが、これは興味深いことだなと思います。崩壊の理由として両者共に挙げられていたのは、「地方豪族(都市)の強大化」と「気候の悪化」でした(ただし後者は“懐疑的”のよう。BC2200頃の小氷河期のことを指していると思うのですが…どうなんでしょうか)。
しかし、確かに同時期に起こっているとはいえ、「統一王朝の崩壊」がもたらす意味?文脈?が、エジプトとメソポタミアでは大きく違うような気がしますね。だって、王政が続いていた期間だけを考えても、エジプトでは800年、メソポタミアでは200年なんですから。
神たるファラオの権力がなくなること。「絶対」「永遠」が失われること…。エジプトにおける王権衰退は、民衆に非常に大きな衝撃を与えました。王権衰退後の第一中間期は、地方の社会発展が進んだ時代だったようですが、市井の平和が乱れた時代でもあったことが文学作品から見てとれます(「イプウェルの訓戒」など。第一中間期の社会危機を描いたと考えられることが多い)。
「統一王朝の崩壊」後のエジプト(第一中間期)と、メソポタミア(新シュメル時代)の違いを考えることで、それぞれの「統一王朝の崩壊」の意味を捉えることができるような気がします。これは、次のノートで改めて、かな。

【王の「神格化」】
メソポタミアで初めて自らを神格化した王はナラム・シンのようですが、エジプト目線的には、「あっ、今なんだ!?」という感じでした。
というのも、エジプトでは初期王朝の頃(BC3000-2686)から、すでに王を「神王」とする理念が生まれていたらしいのです。さらに古王国時代第3王朝で「ファラオは現人神とする」認識が確立し、第4王朝では特に「ファラオは太陽神ラーの化身」とみなされるようになります。その後第5王朝では「ファラオは太陽神ラーの息子」という思想に変化するのですが、これは実際の王朝交代と関係したものなので、結局のところ「王」と「神」は同様の扱いだったといえるでしょう。
一方メソポタミアでは、ナラム・シンの「神格化」がのちに“不敬虔”であるという評価を受けているようで(ウル第3王朝の文学作品「アガデの呪い」。ナラム・シンが神に対して不敬虔だったのでアッカド王朝は滅亡してしまったという物語)、王と神の立ち位置がまったく違うんだなあと感じます。これが後の時代に変わっていくのか、変わらないのか…。これも、「今後のお勉強に期待」ポイントだなって思ってます。