あたたかいパンとシチュー

「重いとも。そしてその重さを楽しめ、雑種」

アヴァロンの迷い子

FGOフェスで上演された、FGO THE DRAMALOGUE -アヴァロン・ル・フェ- を聞きました。声がつくとやっぱりすごい。ホントにすごい。何度も泣きました。

しかし一方で。
このアヴァロンの物語に、どうしてこんなにも泣いてしまうのか、実はまだ分からないままなのです。
ゲームしてた時も何度も泣いた。大好きな物語だ。なのに、「わたしの中のアヴァロン・ル・フェ」に、ちょうどいい「総括のことば」をあてがうことが、未だできていないのです。

ほんと、なんでこんなに泣いてしまうんだろうな。


シナリオをプレイしたのは5月の末でした。
当時、感想記事を4つ残しています。
https://atticstreet.hatenablog.com/entry/2022/05/23/212800
https://atticstreet.hatenablog.com/entry/2022/05/24/213200
https://atticstreet.hatenablog.com/entry/2022/05/28/213700
https://atticstreet.hatenablog.com/entry/2022/05/29/214400

SNの波動をオタクちっくに喜びながら、ストーリーに感激してる様がよく分かります。はずかしいですね。

わたしはふだん、FGOを「一人称的」に遊んでいます。つまり、プレイアブルキャラの「マスター」は、「わたし」。ストーリーの中の「マスター」となって、冒険をするかたちで楽しんでいます。
しかし当時も書き残しているように、どうもアヴァロンルフェを読む「わたし」は、すごく「第三者的」に、物語を読んでいるようなのです。具体的に言うと、アヴァロンのわたしは「SNのオタク」とか「アルトリアを見守るひと」とかになっていた。
アヴァロンルフェは、「わたしの冒険物語」ではないんです。
じゃあ、他のキャラクターに感情移入してたのか?と言われるとそうでもない。他の誰かに共感したわけでもない。他の誰かになりたかったわけでもない。ほんとうに「傍観者」として、彼ら彼女らの物語を眺めたような格好なのでした。

ロールプレイングしたわけでも、感情移入したわけでもなく、物語を眺めただけ。それってふつうは、「あんまりハマってない状態」だと思うんですよね。「ふーん、ほーん」みたいな、興味ない感じ。
でもアヴァロンはなんかが違う。
みんなのことを眺めてるだけなのに、泣けてくる。…いや、待って。もしかしたら、眺めてるだけだから、「眺めてることしかできない」から、泣けてくるのかな。しんどい状況なのに手出しができないから、蚊帳の外だから…だから悔しくて、歯痒いのかな。なのにみんなみんなうつくしいから、泣けてくるのかな。

 

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「誰かのため、でもない。自分のため、でもない。正義のためでもない。わたしは、たぶん。何か一つ、裏切れないもののために。ずっと、嵐の中を進むのです」

「あの星を裏切りたくないだけ。この気持ちを捨てたくないだけ。わたしたちは、あなたたちは、そんなどうでもいいコトでーー」
「いつだって! 頑張って、いかないといけないんだ……!」

すごく、心を打たれたアルトリアのセリフたち。
知らない概念じゃない。理解も賛同もできる話。だけどひたすらに衝撃だった。言葉になって、セリフになって、目の前に差し出されてみると、こんなにも強い力で心を揺さぶる。涙があふれる。

 

また、この逆もある。

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「大嘘つきのオベロンだから」
待って。そんなことわたし思ってない。
(だけど、赤い選択肢出たじゃないか)

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「最後のページと共に忘れられ、現実の速度に置いていかれた物語にもーー」
待って。そんなことをわたしはしない。
(本当に? いままで一度だって?)

反論したい。だけど、きっと反論できない。それにまた、心が揺さぶられる。感動ではなく動揺で、心が揺れる。


アルトリアにもモルガンにもオベロンにも、何一つ言葉が届かない、読者で傍観者の「わたし」は、やはり未だにアヴァロンの迷い子だ。

羽海野先生のオベロン本と、奈須先生たちのアヴァロン本が、もうじき届くはず。
そしたらもう少し、みんなに近づけるんだろうか?

 

 

《どうかこの風景が、

いつまでもあなたの記憶に残りますように》