あたたかいパンとシチュー

「重いとも。そしてその重さを楽しめ、雑種」

メソポタミアばなし②(シュメル初期王朝期)

月本先生の文化史講義(21年度・後)をコンプリートしました。
講義のメインであったシュメル初期王朝期は…やっぱ…特に気になる時代だったのですが…(我らがギルガメシュ王が登場する時代なのでね…仕方ないね…)、実際触れてみると、専攻(??)している古代エジプト史との関連が気になり始めたわたしなのでした。例によってちょこっとだけメモします。

 

【BC2900〜2350:シュメル初期王朝期】
複数の都市国家が併存していて、都市周辺の土地をそれぞれ治めていた時代。メソポタミア全土の統一はアッカド王朝期・サルゴン王の登場を待つことになる。都市ごとに「都市神」が祀られ、神殿が重要な役割を果たしていたが、神殿中心の国家ではなかった(「王」は、ウルク期の「祭司王」の在り方とは異なる)。

【さまざまな都市国家
ウルク
シュメル王名表には12人の王の名前が記されている。ギルガメシュ王は第5代の王で、彼の頃に10kmの城壁を建設したと考えられる(BC2900頃)。都市は400haにも及び、アッシリアの都ができるまで世界最大の都市であった。
◎ウル
ペルシャ湾沿岸の都市。都市神はナンナ。BC26〜25世紀ごろ「ウル第一王朝」が成立した。ウルの王墓が有名で、「ウルのスタンダード」をはじめとする多くの副葬品が発見されている。
ウンマとラガシュ
隣接した2つの都市国家。BC2550〜2350頃、国境をめぐってたびたび抗争を行った。最終的には、ウンマ王・ルガルザゲシがラガシュ王・ウルカギナを討ち、ウンマが勝利する。ルガルザゲシはウルクも制圧したが、のちにキシュの献酌官であったサルゴンに敗北し、シュメル初期王朝期は終焉。

 

以下、思ったことメモです。

【“統一”について】
シュメル初期王朝期は、エジプトの初期王朝時代(BC3000〜)・古王国時代(BC2686〜)と重なる時代です。初期王朝時代と古王国時代といえば、上下エジプトが統一され、「王(=ファラオ)」が権力を持っていた時代でした。しかしメソポタミアでは未だ「統一」がなされずに、都市国家が中心であったというのは……結構おもしろいポイントだなと思います。文明的にはメソポタミアが先行しているわけですから、「統一に時間がかかった」んですね。これはなんでなんだろうか。

うーん、今、思いつくのは2つくらい。
1つは後期ウルク期に、ウルクが「交易」を行い、「制圧」をしなかったこと。もしもウルクが、交易ではなく戦争によって各地の資源を入手する方針だったら、上下エジプトの統一と同じような歴史になったんじゃないか…って想像します。
後期ウルク期のウルクが「交易」の道を選んだのは、豊富な食糧と、印章や封泥を用いた管理システムがあったからとのことです。古代において「戦争をする」ことは、元手なしに資源を手に入れられるという意味で「コスパがいい」ことなのですが、ウルクはそれをしなかった。いや、しなくてもいいくらいに潤っていた…ということなのかもです。
また、「王」のあり方が違うことも気になります。エジプトではファラオは「現人神」なのですが、メソポタミアでは神と王が分かれてますよね。
ただこれは鶏と卵問題かもなので(統一するために王に権力・正当性をつけたい→王を神とみなすようになる、のような)、…うーん、微妙かもしれません。実際、メソポタミアを統一するアッカド王朝期には、ナラム・シンが自らを神格化するようになるわけですし…。

【エジプト目線で見ると】
前回のノートにも書いた通り、後期ウルク期の文化が、ちょうどこの頃(エジプト初期王朝)のナルメル王のパレット(BC3000頃)の図柄に影響したようです。また、ジックラトの存在が、エジプト古王国時代のピラミッドに影響したかもという話もあるので、こと造形に関しては数世代遅れて継承しているような印象があります。
交易の観点では、エジプト初期王朝の最後の王・カセケムイの名前がビブロスで見つかっているのもタイムリーな感じがします。ギルガメシュ叙事詩でも語られる「香柏」…レバノン杉を輸入してたんですね。カセケムイの治世は年で言うとBC2686より前くらいのことなので、シュメル初期王朝期の2期にあたります。ギルガメシュの治世よりちょっと後ろの記録って立ち位置ですね。(追記:この頃のメソポタミアの「香柏」はレバノン杉ではなく、東方の山林から伐採していたもののようです。メソポタミアレバノンへ進出するのは、次のサルゴン王の時代なので、つまりレバノン山地に手を出したのはエジプトの方がはやいかも…?)
あとは、ウルの王墓のことを学べば埋葬文化の比較ができておもしろそうなのですが…。ちょっともう、やりたいトピック多すぎ問題…。ありがたい悩みです…。