『ちょうど、こんな月の夜』
♫『刻を告げる鐘の音を聞いた〜』
アヴァロン・ル・フェ。
後編が終わりました。
おもしろい。そしてこう、良いかんじのモヤモヤが残っている! 真の解決は「戴冠式」に持ち越されました。
前編の感想で、
「アヴァロン前編は、
人理を守るマスターじゃなくてもいいわたしと、命がけで戦わなくてもいいマシュという、「if」に近い物語」では…? と書いたのだけど。
後編は、
人理を守るマスターを続けたわたしを待ち受ける、「モルガン(トネリコ)」という「可能性」の物語…だと思いました。……うん。考えれば考えるほど、2回目のモルガンは、「わたし」だ。
ある日突然、未来の滅亡を知らされる「わたし」。
この世界を、居場所を守ろうと決める「わたし」。
さまざまな手段で平和を守ろうとする「わたし」。
なのに。
終わらない争い。裏切り。仲間の死。
誰からも感謝されず、報いられることもなく。孤独に、自分だけの理想の世界を守ることしかできなくなった……あり得るかもしれないカルデアの話。「わたし」の話。
異聞帯の切除が終わって、異界の神を滅ぼして。そのあとの世界はどうなるの? カルデアは、「わたし」は、望んだ幸福を手に入れられるの?
…という、絶望的な問いかけ。
でもよく考えれば、この手の話になるのは、今回が初めてではないのです。
ゲーティアは、"悲惨"な人類史を憂い、それをやり直そうとした。
キリシュタリアもそうだ。ヒトすべてを神にすることで、理想の世界を作ろうとした。
というか、キャメロットの獅子王アルトリアもそうだし、SNのエミヤだってそうだ。
そしてそのすべてが、「生きたい」「諦めたくない」という、純で若い理想に斃されてきた。
そしてモルガンも、今、また。
つまりこの構造は、TYPE-MOONの常套手段というか…お家芸というか…主張、なんでしょうね。
今までのカルデア(わたし)は、この、「純で若い理想」側だった。「生きたい」「諦めたくない」…独善的で都合の良い願いのために、たくさんの「善」を伐ってきた。
でももしかしたら。未来、将来、わたしたちだって彼らのようにーー……。
しかし一方で。
アヴァロン・ル・フェたるアルトリアは、いったいどんな決断をするんだろう。それが、まだ、見えてこない。
アルトリアは、メイヴ…じゃなかった、ノクナレアを王にした。汎人類史の騎士王アルトリアとは違うルート。むしろ、ウーサーを王にしたトネリコと似たルートだ(ノクナレアが毒殺されないことを祈っている…ノクナレア、好きなので…)
けど、アルトリアはモルガン(トネリコ)と違って、このブリテンを愛していないようにも見える。アルトリアは「予言の子」の役割を全うして、ブリテンを滅ぼしてしまうんじゃないか…そんな気だってする。騎士王とも、獅子王とも違う決断だ。
それに気になるのは、湖水地方、鏡の氏族エインセルの予言。
「予言の子が二度、やってくる」
「一度目は生きるために。そして二度目は、死ぬために」
アルトリアは、全てを無にして、アヴァロンへ還るんだろうか。
あと他にも、いろんな「ひっかかりポイント」があったな〜と思います。
「カルデアの者」の、ゲーティア疑惑。
「ノアの箱舟」たる、ストーム・ボーダー。
「獣(ビースト)」を知っている、メリュジーヌ。
モルガンの最期のことば。
「この先、機会を得る時があるのなら、もう一度、原初の因果に立ち返るがいい。
カルデアとは何なのか。レイシフトとは、何のために用意されたものなのかを」
明らかに伏線だよな〜〜…。けどまだ棚上げ事項ですね。
冒頭のスクショは、お気に入りのカットを貼りました。
これ、後期OPで「Fate Grand Order」のタイトルが出るところと同じカットだよね。すごく印象的なので、きっと何かの意味があると思って撮りました。このOP大好きです。
で、2枚目は…
いや、こうせざるを得ないよねえ!?っていうね。そういうやつです。
(ギルくんをわざわざ2臨にお着替えさせて撮りました)
くそ〜っ…オタクなのでこういうの喜んでしまう、喜んでしまう……