あたたかいパンとシチュー

「重いとも。そしてその重さを楽しめ、雑種」

エジプトばなし⑦(新王国時代第19王朝)

エジプトノート7回目。
例によって、FGOに役立ちそう(?)なところを…って前フリなんてもう要らなくて。だって第19王朝! ラメセス2世…後にディオドロスが「オジマンディアス」と呼んだその人の治世に、やっとたどり着いたのです。感慨。。。

メモすべきところも、思いを馳せたいところもたくさんあるので、まずこのエントリでは、19王朝の概観を眺めていこうと思います。


新王国時代第19王朝(前1295〜1186)
《ラメセス2世即位まで》
ホルエムヘブの宰相、パ・ラメセスが、ラメセス1世として即位。ラメセス1世は即位後1年4ヶ月で死去。息子のセティ1世が王位を継承する。
セティ1世は、アマルナ時代に低下した国力の回復のため、神殿の再興・新設につとめた。また、アマルナ時代に奪われていた北シリアの奪還を目指し、遠征も行う。
セティ1世は息子のラメセス2世を共同統治王に任命し、治世後半はともに政治をおこなった。
共同統治直後、ラメセス2世はヌビアに軍事遠征。第一王子・第四王子を連れた、若いラメセス2世の壁画が残っている。

…ところで、アビドスのセティ1世葬祭殿に、次のような碑文が残っています。
『子供のわたしを腕に抱いて民衆の前に姿を表すとき、父はこう言っていた。「この子を王にせよ。私がこの世にあるうちにそれが成就せんことを」』

ああ、いい〜〜……( ; ; )


《ラメセス2世の治世》
前1279年。ラメセス2世、25歳。ファラオとして即位する。
治世2年目には、即位名を「ウセルマアトラー・セテプエンラー」に改名。
治世4年目からはシリア遠征を開始し、5年目に有名な「カデシュの戦い」を迎える。その後もヒッタイトとの睨み合いが続くが、治世21年目に和平同盟条約を締結。この時46歳頃。
治世24年目にはアブシンベル神殿の献呈式、治世30年目には最初の王位更新祭(セド祭)が執り行われた。しかし、この5年間で最愛の王妃ネフェルタリと死別。
長い治世は67年目で終幕。王位更新祭の前日、92歳で死去。ラメセス2世のミイラは、第21王朝のとき「王家のミイラの隠し場」に移され、今はエジプト文明博物館に所蔵されている。


《ラメセス2世の死後》
ラメセス2世の13番目の王子・メルエンプタハが即位。
メルエンプタハの死後は、アメンメセスが王権を奪ったり、メルエンプタハの長男・セティ2世がそれを奪い返したり…と、王位継承が乱れ、まもなく第19王朝は終焉を迎える。


…細かいことは別記事にするけど、こう、なんだろうなあ、知識や理解より、もっとピュアに感情が動くんだ。めっちゃドラマチックで、けれど、夢物語ではない現実の湿度があって。
いま、すごく思うのは、これは、「神の物語」じゃなくて、「人の歴史」だっていうこと。神王たらんとしたオジマンディアス王には嫌な顔されそうだが、これは、「めちゃくちゃすごい"人間"」の「歴史」だよね。伝説めいた栄華と、避けられぬ衰退。現実に足をつけながら、理想を、思うままに体現せしめんとした野心のひとだ。