あたたかいパンとシチュー

「重いとも。そしてその重さを楽しめ、雑種」

ギルガメシュ叙事詩を読む(9):ギルガメシュの孤独な旅

ギルガメシュ叙事詩・第九の書板を読んでいきます。

(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。

 

<第九の書板>
ギルガメシュの旅立〜双子山を超えて

 

永生を求める孤独な旅

エンキドゥの死を目にしたギルガメシュは、いつか自分の身にも訪れる「死」を恐れ、永遠の生を求める旅に出ます。かつて香柏の森に出立した時の猛々しさは、もはや見る影もありません。

夜、彼は横たわったが、夢を見て眼を覚ました。
目覚めて、生きていることを喜んだ。

月本先生ラピスラズリ版からの引用です。休憩の眠りにつくことにさえ、彼は死を感じ、死を恐れていたんですね。さらに、言うまでもなくこの孤独な旅路は、友・エンキドゥとの旅と対比になっています。恐ろしい眠りから覚めても、隣で夢を解いてくれる友人は、もういないのです。

 

蠍人間から連想しまして

やがてギルガメシュは、「マーシュの山」という双子山にたどり着きます。
ギルガメシュは、双子山の番人・さそり人間(顔は人間、体は蠍)と対話し、太陽神シャマシュの居所へ向かうのですが…この「さそり人間」なる謎な生き物、メソポタミア創世神話「エヌマ・エリシュ」にも、ティアマトが生み出した怪物の1種として登場します(以下引用はオリ博のオーディオブックから。訳はやっぱり月本先生です)。

彼女は11もの怪物を立ち上がらせた。毒蛇、ムシュフシュ、怪物ラハムを。巨大なライオン、荒れ狂う犬、蠍人間を。破壊の嵐、魚人間、牛人間を。残酷な武器を構える者、戦いを恐れぬ者たちを。


少し脱線して、FGOの話を挟みますね。
「怒れる母神ティアマトが11の怪物を生み出して、そのリーダーをキングゥと定める」…これが、創世神話エヌマ・エリシュの中盤の物語ですが、7章バビロニアの魔獣戦線での戦い…つまりゴルゴーン戦までの展開は、この物語を見事に踏襲する構造になっています。

例えば先の「さそり人間」についても、マーリンが以下のように語っていました。

「蠍の人、知恵者ギルタブリル。三ヶ月前まではこいつが魔獣戦線の司令塔だった。巴御前の捨て身の一撃で倒されたがね。そのおかげで戦線は今も健在だ」

カルデア到着よりも前から、ゴルゴーンはティアマトの権能を用い、11の子供たちを生み出していたというわけです。

 

ところで、7章中盤までは、ゴルゴーンのことを「ティアマトそのもの」だと誤認させられていましたよね。だから、エヌマ・エリシュの物語を知っているロマニたち(と博識なマスターたち)は、「こりゃあまさしく神話の再現だ!」と戦況を読んでいたと思います。
そしてこれは想像だけど…、そんな博識な彼ら彼女らにとっては、のちの、「真のティアマトが、“ビースト”として虚数世界からやってくる」という展開って、鮮やかなどんでん返しに見えたんじゃなかろうか。


エヌマ・エリシュとバビロニアの展開については、ほかにも面白い構造が潜んでいると思うので、また別のエントリで整理したいなと思います。

 

ギルガメシュの嘆き

話を叙事詩に戻して。
マーシュの山は深い闇に閉ざされていました。12ベールの暗黒を何とか抜けたギルガメシュは、ついに彼の神、太陽神シャマシュと対面します。
当時、日の入りから日の出まで、太陽は地下の海(すなわち冥界)を西から東へ船で渡ると考えられていました。つまり、太陽神であるシャマシュは、夜の間は冥界を制御していると考えられていたんですね。
夜に冥界を渡り、朝の訪れと共に再び地上に帰るシャマシュは、まさに「永生」を叶えるものと捉えられたのかなと思います。
…ちなみに。この、太陽の巡りを船の航行とみなす考え方って、エジプトにもあるんですよね。なんか関連があるんだろうか。あるとしたら、起源はどっちなんだろうか。気になります。

 

最後に、ギルガメシュシャマシュに投げかける、すごく印象的な台詞を引用しますね。

「大地(冥界)の中にこそやすらぎが多く、残りのすべての年、わたしはそこで眠るというのでしょうか」