あたたかいパンとシチュー

「重いとも。そしてその重さを楽しめ、雑種」

ギルガメシュ叙事詩を読む(4):「死を賭しても」と鼓舞しては

引続き、ギルガメシュ叙事詩・第三・四の書板を読んでいきます。


(!)これは研究メモの類ではなくて、フェイトのおたくによる「感想文」です>< 原文や諸海外訳は読めていないのでごめんなさい…。なお、標準バビロニア語によって書かれた、全12の書板からなるバージョン(=「標準版」)をベースに読んでいます。


<第三の書板>
香柏の森への遠征決定〜母ニンスンの祈り
<第四の書板>
香柏の森へ向かうギルガメシュとエンキドゥ

 

友の夢を解く

第四の書板で印象的なのは、やはり「エンキドゥの夢解き」だと思います。森へ向かう最中、ギルガメシュは4回も夢を見、その不思議さに動揺するのですが、エンキドゥは都度都度彼の夢を解釈し、ギルガメシュを励ますのです。夢の内容と解釈はざっくりこんな感じ。
夢①:山が自分のもとに蠅のように落ちてきた…。
→山とはフンババのこと。フンババの屍を、夜の底へ、蠅のように投げ込もう。
夢②:山が自分の足を掴んで投げつけたが、美しい男が自分を救い出してくれた…。
→山とはフンババ、美しい男とはシャマシュのこと。勝利のしるしの夢だから、早く出立しよう。
夢③:静寂と暗闇の中で稲妻が鳴り、火炎が燃え上がった!
→すぐにフンババとの戦いが起こるが、シャマシュの威光を見るだろう。
夢④:恐ろしいアンズー(怪鳥)が飛んでいたが、1人の若者がそれを捕らえ、地に投げつけた!
→その若者は守護神シャマシュだろう。
なんというか…、エンキドゥ、すごく律儀で甲斐甲斐しくて、いいやつだなあと思います。ほんといいやつだよ。


ところで古代メソポタミアでは、夢によって神からお告げがくだる、夢で占いができるというのは、すごくメジャーな考え方だったようです。夢文書の歴史は、新シュメル時代のグデア円筒碑文にまで遡り、その後も多くの夢占い文書が作られました。後代のアッシリア時代には様々な夢解釈を集めた書物まで編まれたそうですよ。


…1記事あたり1つくらいはFateの話をねじ込みたい。というわけでバビロニアを漁ってみましたが、そういえばこういうシーンがありました。

冥界からウルクに帰る際、その途中のクタで“先を視た”…(中略)…天命とは神から降りるものだが、我(オレ)の場合は千里眼によるものだ。ふと、自分に関わりのない『未来』を知り、それを無意識に記録する事がある。

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キャスギルの場合はちょっと特殊ですけど、近しいものなのかもと思いました。
余談ですが、このシーンで出てくる「天命の粘土板」とは、古代メソポタミア創世神話『エヌマ・エリシュ』にて語られる、ティアマトがキングゥに与えた権力のしるし「天命の書板」を意識していると思われます。
というかそもそも7章バビロニアは、全体を通して「エヌマ・エリシュ」の語り直しのような構造があり、私はそれがすごくおしゃれだなあと思うんですね。
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第5節でロマニが口がするこの言葉がまさにこの神話の語りだしだと気づいた時、「うわ、うわ〜っ…」てなりました。この、サラッと出してくる感じ、かっこいいですよね。
さらに余談ですが、我らが古代オリエント博物館様が「エヌマ・エリシュ」の朗読CDをね、出してくれてるんですね。しかも関さんの朗読ですよ。はあ、やられました。しかもしかもCDに付属している台本冊子は「現在で国内で入手できるエヌマ・エリシュの本格的な日本語訳としてはほぼ唯一のもの」なんだとか。はあ…さすがです…。

【追記:天命の粘土板について】キャスギルの絆礼装を確認したところ、「エヌマ・エリシュ」というより「アンズー神話」を意識しての登場だったと思われます。至上神エンリルの持つ「天命の書板」を持ち去ってしまったアンズー(ライオンの頭を持った鷲。シュメール語ではイムドゥグド)を、戦いの神ニヌルタが撃破した…というお話。日本語訳が「古代オリエント集 1」におさめられているのですが、既に絶版で高額になっています…。図書館に行かないとですね。なお一部は「シュメール神話集成」として最近まとめられ、安価で手に取ることができます。Kindleでも読めます。)

 

死を賭しても、恥なきことを

夢解きを通じてギルガメシュを励ますエンキドゥですが、彼の鼓舞は珠玉の名言の連続でした。

われらは共にことをなそうではないか。一つのことを行おう、死を賭しても、恥なきことを。

2人が力を合わせれば、二つが、三重の力になる。三つ縒りの綱は切れない。

戦いがあなたの心を燃やすように。死をものともせず、この生を生きよ。

ひとつ目が古バビロニア版、あとが「ラピス・ラズリ版」からの抜粋です。月本先生の日本語の美しさの力も多分にありますが、ああ、この言葉の素晴らしさたるや!鳥肌が立ってしまいます。二つ目の台詞については、旧約聖書「コヘレトの言葉・4章」との類似性も指摘されていました。手元にある新共同訳をひらきますと、「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。(略)三つよりの糸は切れにくい」…ここですね。わたしは信仰らしい信仰を持っていないのですが、「コヘレトの言葉」は読み物として、心にくるものがあるなと思っています。


話を戻してエンキドゥですが、元々彼は、フンババ退治に反対だったのですよね。いざ、ギルガメシュの熱望に押されて旅立ってみれば、ギルガメシュフンババを怖がり始める。エンキドゥからすると、「だから言ったじゃん!フンババやばいって言ったじゃん!」て感じだと思うんですよ。 けど、「じゃあ引き返そう」とはならないんですね。結局エンキドゥはギルガメシュを励ましてしまう。
これがどうしてなのかしら…の答えは、本文中に書かれてないのだけど。やっぱり、はじめての友との旅が、楽しかったからじゃないかな…と思ったりするのです。荒野で生まれ、人間らしさを知り、真っ向からぶつかって芽生えた友情。「とこしえまでもわが名をあげたい」と語る、はじめての友との旅が楽しくて、友の力になりたいと思ったからじゃないかな…と。もちろんこれに正解は無く、ただ、わたしの想像なのだけど。そうだったらすごく“人間くさくて”、いいなと思うのです。


第三・四の書板はここまで。次はいよいよフンババ戦ですね。


※読んでる本については「ギルガメシュ叙事詩を読む(1):全知なるや全能の星」をご覧ください〜。